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■レポート・これで四度目の水戸 2006/02/09

◆ 今年も水戸にいきました
 世の中のすべての出来事は縁で決まります。誰の子どもで生まれるか。誰と出会い、別れていくか。誰と結ばれ、暮らしていくか。どんな使命を果たしていくか。何を思って死んでいくか。生命、寿命、使命、運命。生老病死、因果応報。すべては御縁、いただくもの。
 1998年から数えて四度目。今年も御縁に恵まれて水戸にうかがいました。ホテルでの講演と食事と音楽の会。保育士さんたちが中心に集います。
 最初の講演では、愛育社から出版されたばかりの言葉の絵本「いつか誰でも」について語りました。ひとつひとつの言葉に秘められたエピソードを紹介したのです。この年はニューヨークで個展を開いた記念の年でもありますから、忘れることはできません。
 一昨年は現役を引退した盲導犬アリーナと水戸に出かけました。特別にホテル滞在を認めていただいたのです。老犬とはなりましたが、アリーナは見事にボクを誘導しました。もちろん中部盲導犬協会との約束で、アリーナはハーネスなし、革製のリード一本でボクを誘導したのです。これは、とても貴重な思い出となっています。

◆ 出会い、再会、様々人生
 そんな水戸との御縁が今年もボクを呼んでくださったのです。いつも暖かく迎えてくださる皆様方。ステージで次第に緊張がほぐれていきます。これまでの御縁が胸に迫ります。アリーナとの思い出が目頭を熱くさせます。そしてボクのつたない話が終わります。ついでに歌も一曲。いただく拍手に頭がさがります。
 それから始まるサイン会。お名前をうかがい、書籍にためがき、絵とサイン。やってるうちに制限時間がなくなって、ああ、おいしい料理が勿体ない。
 でも、それからがメインイベント。名ヴァイオリニスト、天満敦子さんのソロ演奏。18世紀から現代に受け継がれた謎の名器のエピソード。天満さんの奏でる世紀の名器の驚くべき鳴りと響き。美しい調べと波動に心奪われ、うっとりと耳を傾け、時間を忘れました。
 さて、プログラムは終了。けれどもロビーで再びサイン会。時間がなくて、サインをあきらめていた方々がおられたのです。今度はゆっくり丁寧にボールペンで絵と文字を刻みます。そういうときのおしゃべりが好きなんです。
 初めて会う人、再会の人。御縁も様々、会話もいろいろ。そんな中で耳にしたのは同じ病院、同じ先生にお世話になった方の話題。ここ水戸でも旭川医科大学付属病院で足を救われた方がおられたのです。手術から三年、元気に歩き、暮らしておられるとか。不思議なもので、最近、そんな出会いが重なっています。みんなどこかで結ばれているのです。
 翌日は名物あんこう鍋に、お呼ばれです。今や、貴重になったあんこうという深海魚。昔はあん肝なんて珍味で高級な食品だったのに、日本人がみんなグルメになって、どんどん消費されて、気がついたら、どれも質のよくないあん肝だらけ。あれれ、そんな味じゃあなかったのに、ちょっと乱獲なんじゃありませんか。とにかく、ボクの愛したあん肝は、何処へ消えたのだ。
 そう思っていたら、ここ水戸には本来のあんこう様がおられたのです。いやあ、そのあん肝のおいしいことったら。なんであんこうは冬なのか。あの方たちは普段は400メートルという深海に横たわっておられるのですが、冬になると浅い海底にやってくるらしいのです。恋人を求めてですか?。さあ、どうでしょう。あんこうのオスは小さくて、メスの体にくっついてる、と聞いたことがありますので、ボーイハントやガールハントのためではないでしょう。では産卵か。さあ、どうなんでしょうねえ。誰か調べてくださいな。
 あんこうという魚はどこもみんな食べられますが、特に皮がうまい。ビロビロ、ダラダラ、ロレロレして、お肌の美容に不可欠なコラーゲンがたっぷり。もしかしたら、こいつが肝よりも魅力かもしれません。
 というわけで、今年も水戸を満喫させていただきました。

◆ 繰り返しのテーマにはなりますが
 さて、ここにひとつの文章があります。この会のために用意したものです。けれど、ボクにとっては変わらぬ願い、ボクにとっては毎日の祈りです。繰り返しの内容で恐縮ですが、ここに掲載させていただきます。

◆ 寄稿・続けることを許されること  エム ナマエ
 1970年、ボクはプロのイラストレーターとして仕事を始めました。それから35年経過した今でも、ボクはイラストレーターとしてあり続けています。けれども、決して平坦な道ではありませんでした。途中、様々な山や谷を超え、いくつもの壁を突破しなければならなかったのです。
 なんといっても最大の壁は失明という事件でしょう。当然のことながら、ボクは画家であることをあきらめました。そして同時に表現者としてあり続けることを決心したのです。その決心が幸いしたのでしょう。1990年、ボクは全盲のイラストレーターとして復活する奇跡に恵まれました。
 それから15年間、ボクは絵本や画集の出版や展覧会という、イラストレーターとして最高の仕事を許されてきました。考えてもいなかった幸運です。名誉です。全米最大の子供服メーカーから、ジョン・レノンと並んで採用されるというアメリカンドリームも実現できました。すべてが想像もできなかった奇跡の連続だったのです。
 そして2005年、ボクは再び大きな壁に前方を阻まれました。閉塞性動脈硬化症による両脚切断の危機。血行障害のため、ボクの足先は腐り始めたのです。盲目で車椅子。その暮らしは想像以上に過酷でした。家内のサポートも大変です。ボクは失明当時よりも深く気落ちしている自分に気がつきました。今度こそ駄目かもしれない。
 ところが、この日本にボクの足を救える医学者がただひとり存在するという事実を知ったのです。その人は旭川医科大学付属病院心臓血管外科の笹嶋唯博教授。早速、診察のため東京を訪れていた教授に、ボクは自分の足を診ていただきました。
「大丈夫。十年前の足に戻してあげますよ」
 糖尿病と診断されてから失うことの連続でした。失明と人工透析導入。加えて閉塞性動脈硬化症による両脚切断の危機。またあきらめなくてはならぬのか。覚悟していたボクの前に、救ってくださるという医学者が現れたのです。その慈愛と確信に満ちた優しい声。ボクにとってそれは、まさに神の声でした。
 ボクは救われました。手術から三ヶ月、あれほど冷たかった足先に熱い血潮が流れています。毎日、ボクは奇跡のように素早く疲れ知らずに歩けるようになりました。あれほど激しい痛みのあった足の筋肉が、強靭にボクを前進させてくれているのです。この「血行再建術」は心臓血管外科でも最も難しいとされている手術です。それを可能とする名医とスタッフに恵まれた事実は、これまでの出会いと人的ネットワーク、様々な幸運のおかげです。こうしてボクの両脚は救われました。いや、命そのものを救われたのかもしれません。
 今、ボクはこの原稿の一文字一文字を刻んでいます。いつものように、いつもの机で仕事の続けられる幸せを噛み締めながら。何故、このボクにそんな幸せが許されるのだろう。人生とは何だろう。仕事とは何だろう。考えても答えの出ない設問かもしれません。それよりも、ただひたむきに生き続け、やり続けることだけが、最後の答えに帰結する、ただひとつの方法なのでしょう。苦しくても辛くても、続けられる幸せを感じることさえできたなら、もうそれだけで生まれてきてよかったと、見えない目で窓からの空を仰ぎながら、天と地に感謝しているのです。
執筆は2005年晩秋


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